政治のブラックボックスを見える化しよう

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日本HR協会


今、政治なんて関心がないという若い人が多いのだろうけれど、ちょっと見方を変えてみるとがらっと面白くなる。ぼくも以前は無関心だったので大きなことは言えないが、遠すぎて関わりようがないと思っていたことが、ふとしたときに身近に引き寄せて考えられることがある。

少し前に読んだふたつのインタビューがそうだった。強く印象に残った理由は、内容が似ていたからだ。ふたりとも、自分が政権内に入ってみて「発見」したことを語っていた。


ひとりは内閣府参与を2年務めた湯浅誠氏。

「『政治家や官僚は自分の利益しか考えていないからどうせまともな結論が出てくるはずがない』と思い込み、結論を批判しました。しかし参与になって初めて、ブラックボックスの内部が複雑な調整の現場であると知ったのです」

 ブラックボックスの内部では、政党や政治家、省庁、自治体、マスコミなど、あらゆる利害関係が複雑に絡み合い、限られた予算を巡って要求がせめぎ合っていた。しかも、それぞれがそれぞれの立場で正当性を持ち、必死に働きかけている。

「以前は自分が大切だと思う分野に予算がつかないのは『やる気』の問題だと思っていたが、この状況で自分の要求をすべて通すのは不可能に近く、玉虫色でも色がついているだけで御の字、という経験も多くした」


もうひとりはNPO法人フローレンスの代表理事駒崎弘樹氏で、鳩山内閣で半年、内閣府非常勤国家公務員(政策調査員)をされていた。

政策決定の中枢に入ってみて、これまで大きな勘違いをしていたなと思った。総理大臣になればいろんなことを変えられると思っていたのに、どうもそうではないらしい、というのが分かってしまったんです。
たとえば寄付税制についても、鳩山総理がこういうことをやります、と言っても、財務省のナントカ課の課長が、「それはカクカクシカジカでできないです」って言って突き返すみたいなプロセスが何回もあって、「そんなバカな」とびっくりした。「社長がやろうって言ってるのに、課長がダメっていえるのかな」と。

それまでは、ベスト&ブライテストがいて、その人たちがたるんでいるから進んでいかないのかなと思っていたけど、そうでもないらしい。機構自体が、リーダーシップをふるいにくいものになっているんだなあというのを思い知ったんですよね。

震災や原発問題に関してのみならず、政治不信ここに極まれりという感じで、国民には、呆れや諦めといった種々の感情があふれているように思う。政治の混迷ぶりを見ていると、政治家の個人的資質が原因だとばかり思ってしまいがちだけれど、前述のおふたりのインタビューを読むと、それだけでもないのだなと気づかされる。

つまり、政治家の資質を問題にしてしまうようでは、問題の掘り下げ方が足りないのだろう。そもそも、これだけ状況が混沌として糸がからまりあっていたら、ちょっとやそっとのことではほどけないし、ましてや個人の力などちっぽけなものなのだから。


こうやって物事が前向きに動いていく実感が少ないとき、わかりやすいスローガンや言説が人をとらえる。あるいは、身近なスケープゴートが供出される。でも、そこに流されてはいけないとぼくは自分を戒めている。一時のブームや熱狂はすぐに冷める。人の関心は移ろいやすい。

結局は、そうした移ろいやすい世論に乗じる形でシーソーのようにパワーバランスが移動し、一貫性のない政策につながっていくのが、郵政で国民を熱狂させた小泉政権から現政権に到る特徴ではないかと思う。

今ぼくが大事だと思うことは、誰が意思決定を行い(誰が政権を取り)、どんな結論になったかではなく、意思決定の構造、仕組みだ。その際に何が問題になったのか、プロセスができるだけ見えるようにすることが大事だと思う。

・利害関係者の意見
・決定の結果
・決定の理由(基準・根拠)、方法
・最終決定者(責任者)

湯浅氏の言うこの「ブラックボックスの内部」が広く共有されていけば、問題が徐々に解決に向かう力が加わっていくのではないか。もちろん、それで意見の統一がはかれるわけでは決してないだろうし、打ち出の小槌ではない。けれど、プロセスへの納得性が増すし、問題の所在がわかりやすくなる。つまり改善の具体性が増す。そういう意味では、湯浅氏と駒崎氏が政権内に入ってその情報を発信してくれたおかげで、内部が垣間見れたことは有意義だったと思う。これからも、一般の人が内部に入って、その矛盾点などをどんどん発信してほしい。

で、リーダーシップを期待するとすれば、この意思決定プロセスの可視化とともにだ。現状にイライラして、とにかくプロセスを無視して強行突破できるリーダーを選ぼうということでは、安易な独裁者待望論になってしまう。

最近の日本の組織で目立つ問題は、責任の所在が曖昧なことだ。原子力行政にしても、あれだけの事故のあげく、どこに問題があったのかはっきりわからないし、責任がとられない。リーダーは、決断する権限をもつかわりに最終的な責任を取る必要がある。それはやはり公務員ではなく政治家であるべきだろう。


それにしても、昨今、地方行政で議会や会議などが徐々に可視化されている意味がどれだけ大きいかと思う。それこそがPDCAサイクル、つまり計画(plan)、実行(do)、評価(check)、改善(act)のループを合理的にまわす第一歩だ。国レベルで一気にやろうとすれば、各ステークホルダーが巨大で複雑すぎて途方に暮れてしまう。でも小さな小さなループならば、個人でも家庭でも地方議会でもはじめられる。それが国レベルにつながっていくことを期待している。


■参照サイト
内閣府参与を辞任、湯浅誠さん 「入って」みたら見えたこと
江川紹子ジャーナル「小さな革命を起こしていく」〜駒崎弘樹さんにインタビューしました
湯浅誠からのお知らせ【お知らせ】内閣府参与辞任について


◎関連エントリ
我が家もファシズム?
「世界」はひとつじゃない
本「自分のアタマで考えよう/ちきりん」



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ゼロ地点、政治、地方行政、意思決定