ブログタイトルの変更

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ブログをはじめて3ヶ月、いい加減につけたブログタイトルのままでしたが、変更することにしました。

「ゼロ地点」

これは本の名前にしようと考えていたものですが、他に思い浮かばず、、、まあまた変えたらええやん、と
いつものいい加減ながらの一歩前進で。

ということで、これからもよろしくお願いいたします。



京都、賀茂大橋からの眺望
ゼロ地点
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手製本(自己流)の作成手順

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どうやって本を手作りしたか聞かれたので、めちゃ簡単に解説します。
が、ぼくも教えていただいたので、人様にお教えするほどのものではないのです。
しかも素人のくせに工程をかなり省略しているし…。







1.原稿と見返しを谷折りして重しで平らに
 -上の2冊は重し


2.歯ブラシでのりを塗布
 -背に切り込みを入れるのは省略
 -のりは木工用ボンドと工作のりをまぜたもの、分量は適当



3. 2の終了後
 -重しの青い本は糊塗ラー、2冊で2万ほどしたけどはじめて役立った…



4.洗濯ばさみで固定



5.ドライヤーで乾燥



6.画用紙を貼って終了
 -ほんとは和紙を使うのですが画用紙で
 -ホットメルト接着剤も省略



7.隣り合わせた原稿の裏面をスプレーのりで接着
 -作業しやすいように一枚一枚紙をはさんでのりの飛散を防いだ(風呂場で作業)
 -いちばん手間がかかります
 -塗布しすぎると紙がしわしわに



8.表紙の作成
 -1冊目は固厚紙を使い、2冊目はamazonダンボールで



9. 7と8を2ののりで接着して完成



10.開けるとこんな感じ


すごくわかりにくいと思いますので、こちらを参考に。
次はもちょっと材料をそろえてやってみようかどうしようかと思うのですが、もっといい方法があればぜひ教えてください〜。


◎関連エントリ
手作りの温かみ
ゼロ地点
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ゼロ地点

先日作った本の題名は「ゼロ地点」。

去年、その題名にしようと思い、ネットで検索してみたところ、森広隆というシンガーソングライターの方の2001年発売の同名曲があった。

YouTubeで聴いてみたらエッジの効いたいい曲だったが、そこで同じ森広隆さんの素敵な楽曲を見つけた。
2002年発売の「Pebama」という曲で、何度も聴かせてもらっている。

森さんは南国がお好きで、「ペイ浜」という沖縄に実在する離島が由来らしい。



森広隆 - Pebama


今はWMG(ワーナーミュージック・グループ)等との所属から離れられているようだけれど、こんな美しい曲を作れる方が埋もれてしまうのは惜しいと思う。
応援したい。

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追記)この曲に関して、CDはすでに廃盤らしく、mora/ListenJapanでの配信はなく(iTunesは不明)、Amazonでの中古はなんと9,446円。WMGとの契約があるのかもしれんけど、何とか森さんに利益が入る形でダウンロードとかできんのだろうか。。。



◎関連エントリ
97年のアジア経済危機と今
手製本(自己流)の作成手順

-ゼロ地点
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手作りの温かみ


手作りの本

前に少し書いたけれど、1997年に半年ほど旅をしたときのノンフィクションの紀行文を最近まとめなおした。400字詰めの原稿用紙換算で1500枚の分量があったのを1100枚くらいまで縮めた頃、インキョカフェのマスターが興味をもってくださった。

読んでいただけるというので前半を持参し、しばらくして再訪したところ、なんと奥様が装丁してくださっていた。それまで中身ばかりに意識を注いで見栄えなど考えもしていなかったので、原稿から本になったものを手にして感動した。奥様は器用な方で、店内のディスプレイも手づくりのものがあちこちに。加えて、harunachikoさんの素敵な絵、レトロ風な木製家具、照明。こうした内装とマスターの気さくな人柄が相まって、とても居心地がいい。


奥様手製の照明。夜はさらに落ち着いた雰囲気


インキョさんとは子供の保育園が一緒で、前に互いの家族でピクニックがてら上賀茂神社近くのピザ店(ピッツァパッツァ)に訪れたことがある。その店内も、北イタリアから来た兄弟がほとんど自分で施工したというので感心させられた。電気系統などは無理だったけれど、石釜も自分で設置したと言っていたように思う。コーナンに何度も訪れて相談したので店員さんと馴染みになり、仲良くなったそうだ。とてもおいしい本格ピザだった。

こうしたDIYは、費用の面だけでなく、その過程自体が楽しいんだろうなと思った。それが独特の味わいとなる。京都で暮らしていると、けっこうそんな個性的な店が多いことに気づかされる。



同インキョカフェ。この写真では見えにくいですが、鏡の絵も手書き


幼少の頃のほろ苦い思い出

ぼくが小さかった頃、ズボンやセーター、マフラー、手袋など、母の手製の品をたくさん着せられていた。当時、それが恥ずかしくて仕方がなかった。外で激しく遊んで破れると継ぎをあてられる。土手をお尻で滑ったりして穴が開くと、その継ぎ布の形でサルとからかわれた。既製服を着た友達がかっこよく見え、うらやましかった。ぼくは母親の気持ちなど理解していなかった。

70年代や80年代は、手づくりのものより大量生産を前提にデザインされた工業品の方がかっこよく見えた時代だった。今は逆に、あらゆるものが商品化されて店に並び、金さえ払えば手に入るからこそ、手づくりの品は温もりがあって面白い。

そんなきっかけで、上の原稿を900枚まで縮めてから、装丁の方法を教わり、自分でやってみた。時間がかかったけれど、なんとかカタチになった。細部はけっこうブサイクだけれど、愛着がわく。
外見はともかく中身については、読んでやるという篤志家(?)が現れたので、今後、批評をもらってブラッシュアップしようと思う。つまりこれは世界に存在する唯一の版。

いつかプロの手によって装丁され、出版される日が来るかどうかはわからない。でもそれはいちばん重要なことじゃない。当時、どう生きるかを自分に問いながら足掻き、旅のなかで学ぶことがあった。今読み直すと人間的未熟さも目につくけれど、そんな自分と精一杯向き合おうとしていた真摯さに今の自分がどう応えられるだろうかという問いが、書き直し始めたきっかけだったからだ。


崩壊と転換の時代

既存の価値観が音を立てて崩壊し、ぐるんぐるんと転換していく時代だ。これまでの価値体系のなかで逃げ切れる者は少なく、自ら踏ん張っても天が動き、地が崩れ、うろたえているうちに目の前がみるみる変わっていく。そんな光景を多くの人がなんとなく見始めている。これから起こることは、圧倒的なパワーを伴った引き潮だ。これまで運良く時代の上げ潮にのって高みに上ったからといって、どれだけの人間がその波に飲まれないと自信を持てるだろう。

ぼくが旅をしたときの閉塞感と現在の時代の気分には重なるところがある。意識は明敏で問題が見えているはずなのに、自縄自縛で動けない。無理に動いても、何かが具体的によりよい方向に変わっていく手応えがない。前に進もうとするほど、仄暗い海の深みにはまっていくような気分。そんなとき、ぼくの本を手にしてくれた人に共感してもらえるものがあるのではと思う。

読む人の何かを変えようなどとは思わない。でも、自分が当時、そしてこれまでたくさんの人に手を差し伸べられてきたように、誰かの伸ばされた手を握り返すように、温もりが伝わればいいなと願っている。

そうか、と気づかされる。手作りだから何でもいいというわけではなく、そこにこもっている何かなんだな、と。



妻がミャンマーで買ったロンジーを表紙に。これは前編。後編は少しましにできた

◎関連エントリ
手製本(自己流)の作成手順
97年のアジア経済危機と今

-ゼロ地点

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本「中国でお尻を手術。 (遊牧夫婦、アジアを行く)/近藤雄生」

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嘘はあまり好きではないので、まず正直に告白しなければ。
失礼な話だが、最初、内容自体についてはあまり期待していなかった。
題名から、旅行の体験をただ面白おかしく書いただけのものなのかな、と思ったのだ。
「中国でお尻を手術。」って…ウケ狙いの気配がむんむんしている。

さらに告白すると、ぼくも素人旅行記をちょうど書き終え、今の時代に旅行記を出版物として成立させる難しさを強く実感していた。

ビジネスで経営戦略の概念に、3cという言葉がある。商品を作って売るときの考え方、フレームワークで、

  • 顧客分析(Customer)
  • 競合分析(Competitor)
  • 内部分析(Company)

の頭文字を集めたものだ。
その競合分析でいうと、面白おかしい旅行記はすでにたくさんあるのだろうし、ITの発達で一億総文筆家時代となり、多くの人のブログや海外の情報が身近にあふれている。

それでいえば、もし内容が想像通りなら、あえて競争者のうじゃうじゃいるところに飛び込んだようなものだ。ちょっと前のはやりの言葉でいうブルーオーシャンではなく、レッドオーシャン

けれど、副題「放牧夫婦」――素敵なネーミングだな。夫婦で旅した人の旅行記は、珍しい。いや、「旅しながら暮らす」というコンセプトは新鮮で、他にはないな…。

内容の前に、もうひとつ。
著者の近藤雄生さんのことだ。

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近藤さんのことは、表題の本を知る前、京都の烏丸三条の大垣書店で別の本を手にとってはじめて知った。「旅に出よう――世界にはいろんな生き方があふれてる」という題名の岩波ジュニア新書だった。

略歴を見て、「ああ、こんな人が京都に住んでるんだ」と興味を抱いた。夫婦で長い旅をし、しかもその途中で中国の昆明に住み、生計を立てていたという。
ぼくも妻と結婚してから一年旅をしたあと、京都に住んでいる。親近感がわいた。

しばらくして、東日本大震災に関してたまたま目にした別の人のツイッターのタイムラインに、誰かのコメント(だったかリツイートだったか)があった。そのアカウントをたどると、それが近藤さんだった。近々四条の大垣書店トークイベントをするという。ググって、ミシマ社のウェブサイトで文章を読んだ。さらに著者への興味がふくらんで、トークイベントに申し込んだ。

近藤さんは、話上手な印象だった(それであとで本を読んで驚かされる)。トークイベントの後、参加者を交えて懇親会をするという。おや? こんな人、なかなかいないのでは。さらに、近藤さんの言葉にまた「おや?」となった。その人がなぜ旅に出たのかという動機にこそ、その人の旅の本質があらわれる、というような内容だったと思う(違っていたらスミマセン)。

ただ面白おかしいだけの旅行記と違うのかもしれない。
で、家に帰って読みはじめると、出だしから引きこまれた。

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題名の通り、中国でのお尻の手術の実体験から軽妙にはじまっている。たとえば、検査の順番が「麺屋の注文と同じ」で「激しく面食らった」など。ふふ、ぼくは好きですよ、こういう書き方。で、近藤さんはすぐに気持ちを切り替えて人民集団に混じって医師に向かって「レシートをピラピラ」させる。その様子がまざまざと脳裏に浮かぶようでまた思わず笑ってしまった。

いや、ほんとにそうなんだよなぁ。でもまだそういうシステムなんだ? ぼくも中国で体調を崩して病院に行ったことがある。といっても1997年だけど、ここに描かれているのは2005年。8年たっても変わっていないんだと笑いながら、ふと思った。もし自分が近藤さんだったら、手術を受けただろうか、と。

もちろん旅行と滞在では違うし、中国の医療技術は圧倒的に進歩したのかもしれない。
けれど、たぶん自分なら受けなかっただろう。

近藤さんは、もしかしたらそれほど深く考えず、我に返ったときには手術が終わっていたということだったのかもしれない。なぜなら、なんと手術当日の晩、入院先の病室で油……いや、これ以上は読んでみてください。ハチャメチャですよ。その結果、近藤さんは高熱を出す。中国には「エエイ! どうとでもなれ!」と肩を押す何かがある。いやいや、そりゃあかんやろと突っ込みながら、ようやるわとぼくはまた笑っている。本人も本人やし、まわりもまわりやで……。

近藤さんがまるで自ら指向するかのように、けれどたぶん意図せずハプニングが起こっていく。脂汗のにじんだ顔が目に浮かぶようだ。
本人はたいへんだろうが、読んでる第三者は笑える。そういえばトークイベントで、中国で手術なんか受けるなと保険会社の人にたしなめられたって言ってったっけ。

そうした事件?と絡めて、近藤さんが旅をする目的と、それまでずっと抱えてきたある問題の悩みについて描かれていく。
それが何かは、大事なパートなので明かさないでおこう。後で知ったのだけれど、東大の工学部と院を卒業したそうだ。東大の学歴が立派だなどとは思わないけれど(負け惜しみです)、それをかなぐり捨てるかのような場所に自らを置く覚悟がどれほどのものかは、自分の卑小な経験からも想像に難くない。重くなりすぎないよう全体と文体を統一しているからか、逆に近藤さんにとってのその悩みの重さを意識させる。それは、幸いにもぼくは体験したことがないものだ。けれど、そこから脱しようともがく姿に共感を抱かない人はいないのではないか。

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さらけ出すという意味では、最初ウケ狙いと感じたこの題名は、本質を突いているのかもしれない。そして、紙幅の関係で書き切れないほどのことがあったのだろう。いつか、そのパートをもっと読んでみたいなと思った。

今気づいたのだけれど、ラオスに入った日付が書かれていて、2004年11月18日にフェイサイからメコン川をボートで下ったらしい。うーむ、奇遇だ。ぼくと妻もその頃旅行の真っ最中だった。で、何となしに調べてみると、同月26日に同じ川を下っていた。8日違いなら、もしかしたらどこかですれ違ってるかもしれない…。

それから約七年。たとえば発展著しい中国など、当時と今とでは社会環境の細部は変わっていることだろう。ただ、近藤さんの中国に関する洞察は、表面上の変化のもっと深く、本質的なところにある。"人"についてだ。

小難しく中国を論ずることもできたはずだ。けれど近藤さんは、あくまでも自身の体験と背伸びしない視線で捉えていく。それは、観察対象のこちら側にいる等身大の自分をきちんと認識しないとできないことだ。小難しい評論より、格段に誠実さが要求される。その証拠に、まわりの人々を見つめる近藤さんの視線がじつに暖かい。そうした生活のなかで、近藤さんと、近藤さんが抱えていた問題は変容していく…。

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次の「遊牧夫婦」完結編に期待がふくらむと同時に、自分も旅行記を書いたなどというのが恥ずかしくなるほど、決定的にぼくとの違いを認めざるをえない。人としての品性というか、人柄のやさしさというか。真似できないなと思う。マーケティングとか、そんなビジネス上の方法論なんて、いちばん大事な本質には関係ないんだよね。大切なのは、読んだ人に何が届くかだから。

題名を見て抱いたぼくの先入観は間違いだった。
じわじわと、まるで旅の毎日のように、さりげないけれどとてもやさしく、心に染み入ってくる。


だからまた負け惜しみに、一点疑問を指摘しておこう。近藤さんの妻モトコさんの京都弁(京都御出身)の話法というか、その表記が、ぼくの妻(千葉出身)の関西弁風話法と少し似ていることだ。その妻に影響されたエセ関西弁をしゃべるぼく(大阪出身)の話法に似てなくもない。これは関西人としてはリアリティに影響する事柄なので、確認をお願いしたいところだ。(まあ、ワールドワイドの話をしているときに、どうでもエエ些細なことなんですが…ホンマ、いやらしいし小さいなオレ。)

いや、もう完全に白旗あげてるので、開き直って宣伝を。
もしそんないやらしいぼくの旅行記を読んでやろうという出版関係の方がおられましたら、ぜひツイッターかコメントでお声がけください。


ということで、

両方ともおすすめです!(どっちも下ネタに留まらないこと確認済)


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★★追記★★

ご本人からツイッターに返信いただきました。
「関西弁については、妻とも相談したのですが、思いっきり京都弁の文だと、わからない人がいるだろうということになり、「標準語+語尾などにちょっと関西弁」という形をとりました。関西弁ネーティブの方には違和感あるかも、と思いつつ。。」
とのことです。

なるほど、読みやすいようにとのことだったんですね。失礼しました!
そこまで気を配っておられたとは思い及びませんでした。

題名に関しても、上では触れませんでしたが、もちろんご本人もそうした懸念も当初は持たれており、そういう案の提示があったとき、それでいいのかと正直思ったとトークイベントでおっしゃっていたことを追記しておきます。

また、近藤さんの別の社会派ルポも読みましたが、文体はもちろんまったく違います。

ということで、ぜひ書店で手にとってみてください!

-ゼロ地点
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バランスバイク、その後

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1-2週間で、結構上手に乗れるようになりました。
坂道を下っていると、あっという間にコツをつかんだ感じです。


宝ヶ池公園の北側(国際会館側)の広場にて

この後で「子供の楽園」に行き、お弁当。
ほんとうにいいところで、子供を遊ばせるのにおすすめです。
季節がよくなったら、お近くの方はぜひどうぞ。


ラングスジャパン バランスバイク レッド

-ゼロ地点
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就活とイルカ

先日、京都の大垣書店四条店で開かれたノンフィクションライターの近藤雄生さんのトークイベントを聞きに行き、その後の懇親会に参加させてもらった。近藤さんの、黙っていても人柄のにじみ出るような表情が印象的だった。著書「中国でお尻を手術。 (遊牧夫婦、アジアを行く) 」も面白かった。その感想はまた後日。

その懇親会の席で、大学生の女の子が、就活せずにオーストラリアのイルカが来ることで有名らしい場所、バンバリー近藤さんのブログと一作目の著書「遊牧夫婦」参照)に行きたいのだと言っていた。

それで「海のトリトン」というアニメの名を口にしたところ、知らないという。ぼくの半分くらいの歳だろうから無理もないと気づいた。ちなみにそれは手塚治虫原作で、トリトン族の少年トリトンがイルカなどとともに闘ったり冒険したり。

オーストラリア、イルカと聞いてぼくが思い浮かべたのは、西洋においてメジャーであるらしい「鯨を殺す=悪」という思考様式だ。個人的には、なぜ捕鯨行為がそれほど批判されるのか理解できない。牛やカンガルーを殺生するのとどう違うのか? 戦後多くの日本人は、西洋文化にたいして卑下するような意識を抱いてきたけれど、彼女のような世代はそんな気持ちは薄れているのかもしれない。ただ、憧れの場所で日本の捕鯨について批判されたらどうだろう。

ぼくが29歳のとき、ひとりではじめて海外を半年ほど旅した。自信もなく、当初はずいぶんと狭い場所に自分を押し込めていた。そして、英語への苦手意識もあって、特に西洋人から何か言われてもなかなか言い返せなかった。それで老婆心ながら、批判されても泰然としていればいいと彼女に伝えたくなった。

自然への考え方がよほど柔軟でなければ、「海のトリトン」のような物語は作れない。自然とのつながりが密接で、自然をモチーフにした作品は枚挙にいとまがない。

あるいは「侍ジャイアンツ」では鯨(漁中に死んだ父)が物語のキーになる。それくらい、欧米とは自然に対峙する姿勢や文脈が違っていて、一方的に否定される筋合いもない。日本のような考え方があってもいいし、そこから逆に西洋文化が学べることもある。その多様性こそ、自然界の豊かさと重なり合っている。

そんなことを考えていて、ふと気がついた。
ぼくは、彼女に自分を思い重ねて、若かった頃の自分に言ってやりたかったのかもしれない。

外には、もっと多様な世界がある。狭い場所に自分を押し込めず、広い場所で、広い考え方で生きたらいい。いたずらに自己を卑下して、自分を傷つけなくてもいい、と。


まあ、気楽に、気楽にいこう。



◎関連エントリ
本「中国でお尻を手術。 (遊牧夫婦、アジアを行く)/近藤雄生」
本「中村元対談集3 社会と学問を語る」

-ゼロ地点

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